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パパの子育て体験記
理論派・実践派、各界の著名人が、それぞれの「男の子育て参加」実体験を率直に語ってくれました。
無知が生む差別や偏見、「知る」努力を息子にはしてほしい

島田 雅彦 (作家)

PROFILE(しまだ まさひこ)
1961年神奈川県生まれ。東京外国語大学在学中に、『優しいサヨクのための嬉遊曲』が芥川賞候補作となり文壇デビュー。84年『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞。92年自作の戯曲『ルナ』を演出。同年『彼岸先生』で泉鏡花文学賞。96年日本文芸家協会理事、後に電子メディア対応委員長。ほかに作品は『子どもを救え!』『彗星の住人』など多数。近畿大学文学部助教授も務める。

島田雅彦

 息子の弥勒(九歳)が生まれたのは、『彼岸先生』を上梓したころです。完成までに二年ほどかかった力が入った作品であり、同時に自作戯曲の上演で慣れない演出もして消耗していたので、「ちょっと休もうかな」と思っていた時期でした。
 育児参加への気負いはなかったのですが、そうそう体験できるものでもないので、一年くらい、乳児のころの面倒は見てみようと決めました。
 私はだいたい六〜七年周期で小説の作風を変えるようにしており(自然にそうなってきたのです)、そのサイクルからして、『彼岸先生』をそれまでの集大成として出し、次の六年のために、子どもが生まれたことがきっかけになるかたちで作風が変わればいいとも思っていました。

 乳幼児期に必要な世話はひととおり全部しました。子連れで階段を上ったり、混雑している電車の中でずっと立っていたりするとき、ずっと”荷物”として抱えていなければいけないので、結構、筋肉がつきましたね。
 子どもと一緒だと、いままで見えなかった風景、そして人間関係が見えるようになります。それまで子連れの母親に寄せる視線というのは、限りなく無関心に近いものがあったのですが、自分に子どもがいるとそうはなりません。階段を上ろうとして、乳母車と子どもを抱えて四苦八苦している母親を見ると、自然に手を貸そうという気にもなります。

 わが子を教育するに当たっては、子どもにとって、ときには不愉快な存在にならなくてはいけない―と心掛けてきました。学校や実社会では、親よりももっと不愉快な存在と渡り合っていかねばならないわけですから、ある程度の抑圧に慣れてもらわないと困る部分があるからです。
 子育ての体験を通して、自分の子どもが成人するころ、つまり十年後、二十年後の未来はどうなっていなければいけないのか、という想像力が強く働くようになりました。いま自分が生きている間がよければいい―とは思えなくなったのです。私のものの考え方全般にかなり影響を与えたと思います。

 息子には、「自分の常識が通じない世界が、まだまだたくさんあり、自分のものの考え方がまったく受け入れられない世界がある」という事実を、知ろうとする(学ぶ)努力をしてほしいと思います。それは同時代の日本以外の世界を知るということでもありますが、同時に日本や世界の歴史にも思いを巡らせてほしいのです。

 知ろうとしない無知というのは、いろいろな意味で、差別や偏見、そして戦争の要因になります。ただ単に教養がない、勉強ができないという以上に、無知というのは思いのほか責任が重く、逆に「知る」ことによってこれらを避けることができると考えます。
 こんな無知への対処の具体策として、息子が海外も含めさまざまな人々と出会える機会を、できるだけ多くつくるようにしています。

資料:月刊こども未来

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