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子育て関連情報

育て方、生き方を考える
新世紀インタビュー
「子育て」が楽しい時代、になるために
子どものためにも大人のためにも、新世紀は子育てに新しい物語が必要ではないでしょうか。各界の著名人に、それには何が必要かを伺います。

養老孟司さん写真 子どもの新しい共同体は社会と母親の同意で創る 養老 孟司(解剖学者)

 解剖学の第一人者であり、また自然科学から文学まで幅広く評論活動も展開されている養老孟司先生に、現代の子どもをとりまく環境、子育てについてお話を伺いました。
養老孟司(ようろう・たけし)
1937年神奈川県鎌倉市生まれ。医学博士。東京大学医学部卒業後、同大学解剖学教授を務め、専攻分野の研究を深める一方、評論、エッセイの執筆など著述家としても活躍。 95年に退官。現在、北里大学教授、東京大学名誉教授。著書に『からだの見方』(サントリー学芸賞)、『唯脳論』『涼しい脳味噌』『「私」はなぜ存在するか』(多田富雄、中村桂子共著)などがある。無類の虫好きとしても知られている。
人工と自然
都市化で 自然が苦手になってきた現代人。  世界を大きく分けると、人間が作った世界と作っていない世界、つまり人工と自然に分かれます。 子どもはどちらに属するかというと、実は自然の世界なんです。自然の世界に属している子どもを、人間の世界へひきこんでいくという過程が、子育てなんですね。 自然、というのは、人間が設計することができないものという意味です。今、それに対して、どう扱っていいか分からなくなっているんです。
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自然の世界に属する子ども
 それは、日本人の仕事の変化を考えるとよくわかります。江戸時代までは、おそらく8〜9割が農業や漁業などに従事していた。 つまり自然そのものを相手にしていたわけですから、自然に属する子どもを育てることと日常の仕事の間に矛盾がなかった。 稲を育てていて、病気になれば仕方がない、枯れてしまえば弱かったんだから仕方ない、まさに「仕方がない」という言葉が使えたわけです。 ところが今は、働いている人の7〜8割が組織人ですね。サラリーマンの世界というのは、人間が一生懸命構築したものですから、社長、部長、課長といった、自然のなかにはない約束事で出来ています。 子どもは、そういう約束事にあわせて産まれてきたわけではないから、なにか大事な会合があって、誰かに会わなくちゃならないとなると、前の晩にはしかになったりする(笑)。 人間の都合とまったく関係ないんです。地震や台風などと同じです。それで仕事をキャンセルして、「仕方がない」で通るか、という話ですね。 「仕方がない」ということが当然だというのが、自然を相手にしている世界。それが当然ではなくて、「不祥事」だというのが、人工の世界です。
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自然に対してできることは「覚悟」だけ
 たとえば、若い人が癌になると、「他にたくさん人がいるのに、なんで今、俺だけが癌にならなくちゃいけないんだ」と思う。 でもそれが「自然」ということなんです。人間の考えている理由が成り立たない。そういうものに対して、現代社会はいやに弱いです。 だから、なんとか管理しようとして、「危機管理」と言うでしょう。でも「危機管理」っていうことを言い出したら、無限にいくんですよ。 たとえば、太平洋に直径4キロの隕石が落ちたら、津波の高さは1万メートルです。そしたら郷里は全部滅びる、それに対して国が責任をとるのか、ということになってしまう。昔の人はそういうとき、なんと言ったか。 一言、「覚悟しておこう」と言ったんです。「こういうことが予想されるけど、こうなったら、どうするんですか」と聞かれたら、「覚悟しとくしか、仕方がないなあ」と。安くつくでしょう、一言で(笑)。 元手はいらない、しかしこの気持ちを持っておくということが必要なんです。子育てにも、その「覚悟」が必要でしょう。
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子育てはやってみるもの
「ああすれば、こうなる」が通用しないのが子ども。だから「覚悟」する。  子どもが産まれたら、こんなことも心配、あんなことも心配、と前もって予測して心配していても、仕方がないんだ。そういう考え方を僕は「ああすれば、こうなる」の考え方、と呼んでいるんです。これは人間の作った機械のシステムならば、通用します。テレビや車なら、故障の原因もわかります。でも、子どもの場合は、わからないんですね。医者がなんと言おうと、わからないときはわからない。結局、見てるしか仕方がないわけです。子育てに関する情報を欲しがるのも、「ああすれば、こうなる」をやろうとしているわけですが、そうはいかない。子育てなんて、勉強するものじゃなくて、やってみるものです。誰だって、最初の子どもを育てるときは、初めての経験ですから、試行錯誤する、そして間違いは間違いでやっていくわけです。そのときに何を信用するか、といえば、そうやって人間5億年、背骨ができてから5億年続いてきたんだということ、それしかないでしょう。5億年やってきたことが、できないわけがないんです。
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自転車操業だった日本の子育て
 明治以降、社会が非常に速く変わってきたために、日本人は子育てに関して、自転車操業をやってきた。つまり、自分が育ったようには子どもは育てない、という原則で子育てをするということです。 ずいぶん前ですが、小学校を出て、その後、苦労して偉くなった人が、貧しい若者に奨学金を出す、という新聞記事を読みました。 そして、なんでそんなことするんだよ、と思わず言ってしまいましたね。「俺は貧乏してここまで来たんだよ、お前らもこうやれ」ってどうして言わないんだろう、と。 そうやって絶えず生き方を変えてきたから、親が子どもに言うことがなくなるのは当たり前なんです。「俺はこれでここまで来たんだ、それで何が悪い」というのが唯一、年を経てきた人だけが、言う権利をもつ言葉なんですよ。 そういう親を反面教師にして子どもが育つ、というのがむしろまともなんです。よかれあしかれね。それが言えなくなってしまっている。 これは実は、日本の歴史そのものなんですよ。明治になって、江戸を改める。戦後には、戦前を改める。そうしたら何も言えないでしょう。親の世代は。 そういう問題がひとつありますね。
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