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子どもの新しい共同体は社会と母親の同意で創る 養老 孟司(解剖学者)
 
日本の母子関係が抱える問題
社会と母親の両方から、新しい子どもの共同体を作らなければね。  子育てに関して、日本の若い人はもうひとつ、非常にややこしい問題を抱えている。母親と子どもの密着、または子どもは母親のもの、子育ては母親の責任、という感覚ですね。 国立精神・神経センターの菅原ますみさんが、川崎市の普通の家庭を数千所帯選んで、20年近く聞き取りを中心に調査を続けているんですが、それだけ続けると、調べ始めたときに小さかった子どもが高校生になり大学生になってくる。 たとえばそのなかに社会的問題を起こす子が出てくる。さかのぼって見ていくと、何がわかるか。端的な結論として出てくるのが、3歳までにすでに母親が育てにくいと感じていた子どものなかに、問題を起こす子どものいる率が高い、ということです。 それは母親のせい、子どものせい、ということではなくて、母親と子どもの人間関係のなかですでに上手にいかないことが出てきているということです。 そうすると、一体母子関係とはどうなっているか、ということが次に出てくる。そのときに僕が子どもだったころと、今とくらべて一番違うな、と思うのは、間違いなく、子育てに共同体が参与しなくなったということですね。
 うちは母子家庭で、母親は医者でしたから、子どもの面倒は見切れない。僕は外で悪いことをして、しょっちゅうよその大人に怒られていた(笑)。 それはもう、当たり前のことでしたからね。それは全員で子育てしている、ということなんです、逆に言えば。その雰囲気は、今もうまったくないでしょう。
 その菅原さんの調査でもうひとつ面白かったのは、夫に対する妻の愛情と、妻に対する夫の愛情の変化です。結婚のときの新婚のスコアを100として、その後の点数をつけていくわけです。 そうすると、5年、10年、15年でそれぞれどう変化するか。これは見事なものですよ、どうなると思います? 夫の愛情というのは横ばいなんです、妻はきれいに右肩下がり(笑)。 妻の方は確実に、ひたすら下がっていく。そして、その理由として一番はっきりしているのは、「子育てに協力しなかったこと」なんです。それはおむつを洗ってくれなかったとか、自分が忙しいときに食事を作ってくれなかったとかそういう話じゃない、根本的には、ガス抜きをさせてくれなかった、ということなんです。俺がみててやるから、1週間どっか行ってこい、と完全にフリーにしてやるということがまったくない。
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社会全体が子どもに対して責任がある
 そこまで調べて初めてピンとくるのは、それが日本の社会だということです。つまり、乳飲み子残してお母さんが同級生と温泉に行ってきます、と1週間いなくなっちゃうとしますね、その間に子どもがはしかになったらお父さんがふうふう言って看病して、おじいちゃんおばあちゃんに相談に行ったりする。 そこで何を言われるかといえば、「お前の嫁さん、どこ行ってるんだ」ってことでしょう。看病して会社休んでいたら、今度上役に呼ばれて「お前、なんで休んでるんだ」となるでしょう。そうすると、非常にはっきりわかるのは、母親に責任を負わせたのは社会だということです。 共同体で子育てをしていた、ということは、逆にいうと母親の責任をまわりがそれだけ軽減していたということなんですよ。同時に常識として、子どもが悪くなる、ならないには母親だけじゃない、まわりに責任があるということを、ある程度自覚していたわけですね。
 当たり前の話だけれども、義務教育がなぜ義務教育かと言ったら、将来の社会を背負っていくわけだから、全員がそれを負担しましょうという話でしょう?それは赤ん坊の段階からして、同じことです。それをちゃんと育てるのは、現代の社会を作っている構成員全員のいわば共同責任のはずなんです。
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子どもにとっても共同体は必要
 子どもというのは社会共通の持ち物であるという意識をお母さんが、まずもうちょっと持つことです。それから社会全体も、母親に全部の責任を負わせてはいけないのだということを認識しなおす必要がある。 両方ですよ。これは両者関係だから、なかなか難しいんです。それが具体的に託児所や保育所など施設の問題、つまり社会が子どもの面倒をどの程度見るかということに翻訳されてきている。 けれども施設を作る、お金を出す、というのは二次的な問題であって、まず根本のところで、お互いに了解に達する必要がある。母親だけの子どもじゃない、周りに預けよう、ということでしょう。 そうなれば密着型の母子関係は変わらざるを得ないでしょうね。また、そういうことは変えなくちゃいけないんだ。
 この前、TBSの「人間とは何か」という番組で、メイナク族の子育てのリポートをしていたんですが、そこでは子どもを産むと、2ヵ月間は母子密着で、お母さんはいっさいの労働免除。 2ヵ月経つと、その子を子どもたちに預けちゃう。するとあとは子どもの世界です。この子育てのどこがいいかというと、子どもが予習復習をしながら育っていくところです。 少し大きくなった子どもは、自分が小さいときはこうだった、と思い、もう少し大きくなると、自分はあのくらいのことができると思う。それを集団のなかで、しょっちゅう見ながら育つ。 つまり非常に丁寧に育つわけです。今の子どもは、共同体がなくなって、自分と親と同級生しかいない。まったく予習復習なしに育っているわけです。 異年齢集団というのも、子どもにとって非常に大事なんです。
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「花鳥風月」のない子どもたち
子どもにとって、自然の世界は一種の救いになりますよ。  世界っていうのは、人工と自然があって、それぞれ、いい、悪い、に分かれる。だから4象限あるんですね。たとえば先生に怒られた、これは人工の世界の悪いことですね。 親に誉められた、というのが人工の世界のいいこと。自然の世界も、お腹がすいた、寒い、というのが悪いことで、外へ出てセミとって面白い、気持ちがよかった、というのがいいこと。 世界は4つあったわけです。それが今の子どもには半分しかない。子どもにとって、自然の世界は一種の救いになりますよ。人間の世界にくらべて、まったく中立ですから。
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自然の世界に親しむ
 この間、僕の後輩が子どもを3人連れて遊びに来たんだけど、もう家のなかで走り回って大騒動している。 それを見て、僕の娘が「子どもを持ってもいいかな、と思った」と言うんです。ごく素直に育ったふつうの子ですよ、でも子ども自体をあんまり見たことがなくて、「子どもを持つ」ということにも確信がないんだね。
 以前に、知り合いのところへ孫が遊びに来て、庭でセミが鳴いたら泣き出したという話もあった。セミが鳴いたら孫が泣く(笑)。冗談にもならないから、連れて歩いて、一緒にセミを採ったって(笑)。 まずそういう状況でしょう、僕らのときには当たり前だったことがどんどん、当たり前じゃなくなっている。けれども、自然がいいという話かというとそうではないんです。
 今、「自然がいい」とさかんに言われていますね、たとえば、「自然食品がいい」と言われる。これはまったくの勘違いで、自然にも「いい」「悪い」の両方があるんです。 自然は、人間の都合なんて考えていないんだ。人間の作る人工の世界とは違う、もう一つの世界がある。その世界から見たら人間の世界なんて小さなものです。 宇宙の果てから見たら、ひとりひとりの動向なんて時間的にも空間的にも、馬鹿みたいにちっぽけなものです。われわれが見てる星だって、何億年も前の光なんだ、とよく言うでしょう。 そう思ったら、人間の一生なんて、屁みたいなものかもしれない。そう思わせてくれる、もう一つの世界の存在そのものが、救いになるんです。
おわり
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